2015年8月11日火曜日

川合玉堂の新収蔵作品、初披露! 企画展「日韓近代美術家のまなざし」会場にて!!

 7月9日に開幕した企画展、『日韓近代美術家のまなざし―「朝鮮」で描く』。
日韓国交正常化50周年記念事業として行われる本展は、両国の近代美術家の交流に焦点をあてた初めての試みで、日本と韓国の近代美術研究者がチームを組んで協力しながら、意欲的に幅広いジャンルの作家(なんと130人を超えています!)の作品・資料を集めたという、大規模な展覧会です。
7月17日(中京圏はこの日台風直撃でしたね)の夜間開館日に行われた作品鑑賞会をはじめ、出品作家の李ジュンソプと山本方子夫妻のドキュメンタリー映画「ふたつの祖国、ひとつの愛~イ・ジュンソプの妻~」の上映(7月18日)、木歌さんのコンサート「海を越える歌」(7月20日)、井内佳津恵さん(北海道立近代美術館)と冨田康子さん(横須賀美術館)による二つの美術講演会(7月19日、7月26日)、ポジャギのワークショップ(7月25日)、そして美術講座(8月1日)と、週末ごとに開催してきたイベントが一段落したところで、担当学芸員もほっと息をついております。

 さて、本展では8月4日から一部の作品を入れ替えて、後期の展示となりました。
前期の展示の目玉は、土田麦僊《平牀》(京都市美術館蔵)や山口蓬春《市場》(東京藝術大学蔵)などの名品でした。
後期は、慶州(キョンジュ)の少年と馬を描いた川﨑小虎の名品《荒涼》(東京藝術大学蔵)をはじめ、釜山(プサン)の風景を爽やかに表現した都路華香《東萊里(トンネリ)の朝・萬年臺(マンニョンデ)の夕》(京都市美術館蔵)、華やかな女性像が目を引く野田九浦《朝鮮風俗》(武蔵野市立吉祥寺美術館蔵)と、珠玉の作品の数々が登場しております。
 それらと一緒に、岐阜県美術館の今年度の新収蔵作品第一号(!)、川合玉堂《柳蔭閑話図(りゅういんかんわず)》が特別展示されています。初めてのお披露目として、日韓近代美術展の会場で8月23日まで公開中です。

(写真 川合玉堂《柳蔭閑話図》)

 近代日本画の巨匠・川合玉堂(1873~1957)は、愛知県に生まれ、岐阜市で少年時代を過ごした人です。はじめ京都で、のちに東京で日本画を学びました。岐阜県ゆかりの重要な作家として、岐阜県美術館では、玉堂の企画展を開催するとともに作品を収集してきました。これまで当館が収蔵してきた玉堂作品は、日本画30点。ほかに素描1点、手紙(掛軸に仕立てられたものを含めて)等の資料が十数点あります。まだ17歳の作である《老松図》から、玉堂らしい風景画のスタイルを確立した明治期の《日光裏見瀧》、第8回文部省美術展覧会(文展)出品作《駒ヶ岳》(大正3年)、昭和期の名品《老松蒼鷹》(昭和3年、六曲一双屏風)と《深林宿雪》(昭和11年、掛軸)、花鳥画の佳作である《野末の秋》(昭和2年)、《藤》(昭和4年)等が収蔵作品の代表といえるでしょう。半数以上は明治期の制作で、大正や昭和の作品はやや少なく、戦後の作品は《山村積雪》一点のみです。

 大正11(1922)年作の《柳蔭閑話図》は、同年に始まった第1回朝鮮美術展覧会の審査員として、5月から6月にかけて玉堂が朝鮮半島を訪れた時の取材によって生まれた作品です。この朝鮮への旅行は、玉堂にとって、生涯ただ一度の海外渡航でした。本作品は、第4回帝国美術院展覧会(帝展)に出品された際に、「屋根の瓦が日に受けた面白味、白衣の韓人が柳の蔭に閑話する有様、柳を掠めて飛んで行く鳥の面白さ、垣の石のかき方等、何等の細工をせずにあの感じを出したのは大家たる手腕を見ることが出来る。」(古川修、雑誌『太陽』大正11年11月号)と好評を博しました。その後、男爵・大倉喜七郎の所蔵となり、昭和5(1930)年に大倉男爵推薦の一点として、ローマ日本美術展覧会に出品されています。さらに1930年代には、時期は定かでありませんが、朝鮮の李王家美術館の日本美術特別陳列として展示されたことが、図録等の資料から確認されています。

 そのように、玉堂の代表作として海外でも複数回紹介されていたにもかかわらず、本作品は戦後、所在不明となって久しく世に出ることがありませんでした。
2年前の平成25(2013)年、本作品は彗星のごとく時を経て再び現れ、山種美術館での生誕130年記念の川合玉堂展に出品されました。約70年ぶりの公開で、マスメディアに話題として取り上げられました。公開の直後から、岐阜県美術館は「所蔵者が作品を手放したいと考えている」という情報を得て、粘り強く交渉をした結果、本作品を購入するはこびとなりました。

 本作品は、玉堂作品の中で、画題も技法もきわめて特異なものとして注目されます。特に金箔の実験的な使用法に驚かされます。普通は絵絹を用いて行う「裏箔(うらはく)」という技法を、極薄の和紙を使って試みているのです。金箔の上に極薄の和紙を重ね、その上から絵を描き着色するという複雑な技法です。発表当時の展評でも「紙をあれ丈(だけ)つかひこなした技巧の老熟を思はせる」(古川修、前掲書)と批評家を感心させました。本作品は、大正期の玉堂の積極的な表現研究の一端が見られる、貴重な一点といえるでしょう。

 当然ではありますが、本作品は、「日韓近代美術家のまなざし」展の出品候補作品にあがっていました。購入交渉と同時に出品依頼も並行してすすめていたのですが、企画展出品については残念ながら、交渉がまとまりませんでした。今回、本作品が岐阜県美術館の所蔵となったことで、展示期間の半分ですが、特別に「日韓近代美術家のまなざし」展出品作と同時に、同空間で鑑賞できる機会を設けました。8月23日までの展示です、ぜひ多くの美術ファン、玉堂作品のファンに見ていただきたいと願っております。



 朝鮮という、自分にとって未知の外国風景を実体験したことによって、玉堂は、現地の風景から大いに刺激を受け、それと同時に、自分がこれまで描き続けてきた日本の風景の特徴、日本の原風景とは何かについて、改めて考えたはずです。そして、湿度の高いしっとりした情景が大きな特徴であることを感じたに違いありません。その思いこそが、《深林宿雪》(昭和11年、当館蔵)や《彩雨》(昭和15年、東京国立近代美術館蔵)といった、昭和期の格調高く情感豊かな画境に到達するきっかけになったのではないでしょうか。

 大正期の風景表現の研究のキーとなる代表作《柳蔭閑話図》が加わることで、明治から大正、昭和戦前期まで、重要な作品を系統立てて玉堂作品を展示することが可能となりました。これまで収集してきた30点の作品とともに、「岐阜県美術館ならではの川合玉堂の展示」を、ぜひ試みていきたいと思っています。

それと同時に、「日韓近代美術家のまなざし」展のように、同時代・同空間に生きた他の美術家の作品と組み合わせて展示することにより、その作品が作家一人の世界の内にとどまっている間は見えてこなかった、秘められた側面に気づかされることも期待しています。あと二週間の特別展示の期間中、作品を見続けて、いろいろと発見したいと思っています。(青山)

0 件のコメント:

コメントを投稿